「…何やってんだよ」

辺りは夜の帳が深い。城の外、浅い林の中。星も月もない夜は、一度明かりから離れてしまえば視覚は余りにも頼りなかった。ただ立ち込めるのはよく知った…ようやっと齢十二を重ねた森蘭丸という少年が知るには、些か不相応な臭い。…血の臭い。
「見てわかりませんか?」
粘着質な言いようがじっとりと水気を含んで夏の夜の空気とともに擦り寄ってくる。そこに立ち、笑う気配を見せた男…明智光秀が握る鎌の鈍い光、それが所々違う調子で光るのは気のせいだろうか?青年の足元に転がり腕を弛緩させているのは若い女。長い髪は元は結い上げていたのだろうか、中途半端に乱れている。簡素な着物。目を凝らすと、知った顔が浮かんだ。城に仕える女中のひとり。美人でも聡明でもないがころころとよく笑う、少なくとも蘭丸には優しい少女だった。

「間者か?」
「さぁ?」

喉の奥で揺れる笑いに、蘭丸は眉を上げる。

「粗相でもしたか」
「知りません」
「信長様のお気に障ったか」
「知りません」
「お前に逆らったか」
「いいえ。ここにいた、だけです」

至極嬉しそうに、光秀の指が刃を撫でる。大切な玩具のように。

「だから殺したのか」
「ええ」

躊躇せず返る言葉に顔が歪む。それがたまたまこの狂人に出会ってしまったがために無様に果てた女に対する哀れみなのか、いくさ場に立つでもない取るに足らない女中を手に掛けた男に対する怒りなのか、そのどちらでもないのか或いは両方なのかもわからない。

「でも、つまらなかった」
「…当たり前だろ」
「悲鳴も聞けなかった。抵抗すらしなかった」
「当たり前だ」
「蘭丸…貴方は、私を楽しませてくれますか?」

気付いた時には、とっくに間合いは詰まっていた。気を許す筈がない、こんなやつに。反射的に背に手を回し得物を探して丸腰だったことを理解する。不覚、最低だ、よりによって。一気に様々な毒が脳裏を駆け、首筋の冷たい金属にそれが無意味であることを悟った。気だるい暑さの中で、刃の触れるそこだけが凍りつくように冴えている。

「…つまらない」

吐き捨てるように呟くその言葉の、冷気を孕んだ吐息を感じる程の至近距離。得物を探った姿勢のままの蘭丸に寄り添うように、死神が立っている。

「殺すか」
「殺してほしいですか」
「誰が、お前なんかに」
「それは残念」
「殺さないのか」
「丸腰の子猫より、牙を持った虎の方が好みですから」

首筋の冷たいものが離れ、代わりに熱いものが触れる。それは一瞬鋭い痛みを持ちすぐに消えた。

「助けてくれとでも、無様に泣いて頼めばすぐに殺して差し上げたのですが」
「……ッ絶対、お前を、殺す」
呪詛のような怨嗟の言葉に、光秀は艶やかにすら見える笑みを浮かべる。

「それはお約束です。覚えておきましょう。いつか、戦場で牙を向く貴方を殺すために」

蘭丸の首筋に纏う緋が、餓えた毒蛾を呼び寄せる日を。


20050826-0926 03:39
光秀×蘭丸

キスしたか噛み付いたかってとこでしょうか。
強い人誰にでもマーキングする先祖は嫌だなぁ…

実に一ヶ月放置したこの話。イギリスで書き始めてました。